2008年08月07日

 人の記憶、という奴は本当に便利にできている。 
きっと自分が生きていくうえにおいて都合の悪いことは全て忘れるようにできているのだ。
 そうしないと生命の危機を迎えてしまうからだ。 その上、自分が生きていることをリセットしてしまうような衝動に駆られてしまうのかもしれない。

 ところで質問なのだが、夏って、毎年こんなに暑かっただろうか。

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結論:去年の夏の暑さは悪い。 

 どれぐらい悪いかというとそりゃあもう。 

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覚えちゃないですよ。

今日は一日雷が鳴っていた。

家の近所でマンションの工事をするために鉄筋の上に上っていた私とほぼ同じくらい
の年の人に鉄筋をつたって雷が落ちたという。

落雷である。 男に落雷。 ライラライラライ。 念のために言っておくがこれは笑い事ではない。 惨事である。大惨事である。 鉄をつたって人に落雷。

そんなこと本当にあるんですね。 体が痺れて焼けて痺れて焼けて痛くてしょうがないらしい。

ウソのようなホントの話だが、今朝地震があった。 地震に雷。 昔怖いとされていたもののうち二つに逢った一日。 あ、親父にも会ったので三つか。

火事にあったらコンプリートですがそれはいったいなんの話だ。

投稿者 yoshimoto : 01:30 | コメント (0)

2006年11月14日

目標

 ほんとうにささやかだが、目標ができた。

 少なくとも今この瞬間、私はこの生が途切れるその日まで、それを求めて生きていくだろう、と思う。

かなわないかもしれない。 そしてたどり着けた、と思ったその先は今想定しているものではないかもしれない。

 けれど私は挑戦していくだろうし、またこの生のある限り、その目標のある限り、

その目標がかなうまで、挑戦せざるをえないだろう。

それが私にとってのこの生がある理由、つまり人生の意味なのだろうと私のからだは今、そういう風にものを、申しております。

 まあできましたら、ふきすさぶ波風に頭を抱え、自分で自分を諦めてしまいませんことを。

 荒くれる剛力に心が折れてしまいませんことを。 

 そう願いまして、ここにこれを記してみる所存です。

投稿者 yoshimoto : 21:34 | コメント (0)

2006年10月27日

コメンター

 ブログ、ほんとにたっくさんあるけれど、よっぽど気があって面白いなあ、という人が

いればそのブログの専属コメンターというのもやってみたいような気がするな。

 高田文夫さんばりに合いの手を入れてみたい。

 いいパス出しますよ。なんなら点取りにもいきますし。

投稿者 yoshimoto : 02:13 | コメント (0)

2006年10月24日

口に出して気持ちのいい音

 わかる人にはわかるが、わからないひとには全然わからないお話。

 ウーウェイの持ちギャグのお笑いの人(名前知らない)のあのウーウェイっていう音

は、あれは、口に出して気持ちのいい音だな。

 でもあの音そのものはあの子が持ってるトーンがないときちっとバイブレーションできないのであれはもうああいうトーン持ってる人特有の音だな。

 で、人にとってアレはとても身体の気持ちのいい部分を揺さぶられる音だ。

トーンを持ってない人でも近いトーンを持ってれば近い音は出せるし、それだけでも十二分に心地いい。

うーむ、この話、誰かわかる人いるんだろうか。 いないかもね。

投稿者 yoshimoto : 22:34 | コメント (0)

2006年10月13日

悲劇

食べるものがなくて、飢えて死ぬ、というのは確かに悲劇だが、食べるものはたくさんあるが小食で、みな食べる前に次々腐っていって食べられず、無理に食べようとして食あたりをおこし激痛に見舞われ、最終的に食べ物がなくなり飢えて死ぬ、というのも結構な悲劇だと思う。

投稿者 yoshimoto : 21:26 | コメント (0)

2006年09月11日

再開

  今日は9月11日。   ・・休んだなあ。

  
  やー。


  
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 長いこと休んでおりましたが、ぼちぼちと再開です。

 やー、ほんとうにいろんなことがある、そんな毎日ですが、

 つらかったり、つらかったり、苦しかったり、苦しかったり、

 うれしかったり、切なかったり、しても時間はこつこつと過ぎていきますね。

 だったら、そのこつこつのリズムにあわせて、心もとないこつこつのリズムを

 楽しんでやるか、とそう思っている次第です。

 人生には、いろんなものが必要ですが、私の人生に必要なのは愛と勇気とストップ

ウオッチですね、どうも。  あと寛容と忍耐の心。 そして向上心。 ・・・。

 え-、どうも-、まるでだめ夫で-す。

切実に、ストップウオッチを希望する。

あ、あと不義理は少しずつ全部清算する方向で。

以上でございます。

投稿者 yoshimoto : 20:04 | コメント (0)

2006年07月22日


 今日わかったこと。 俺、決して酒を飲むという行為自体は好きではない。

 ただ、酒飲んで酔っ払うのは、その場にいる人の気持ちに殉じたいという気持ちが

強いんだよなあということに気づいた。

 だから、酒飲んで私つぶれたり、俺酔っ払ってます、という前置きで何かに関わった人、ああ、こいつ酔うとるなあ、と思った人。

 きっと、そこにはあなたに対する愛があるからそうなっとるんや、と思ってもらっていいですよ。 無論、迷惑なのかもしれないが。   

 俺は、あなたを愛しとるぜ、きっと。 迷惑だったら、ごめん。

投稿者 yoshimoto : 01:00 | コメント (0)

2006年06月23日

魔法

魔法びんの効用も本物の魔法よりずいぶん魔法っぽいと思うですが、料理という奴はまさしく魔法だと思う。

だって、そのままじゃおいしくなんか食べられないじゃがやじゃがをおいしく変身させるんだぜ。

すごいぜ。 アイレスペクトクッキング。

だから、冷蔵庫にあるものでわささっっとおいしいものを作り出せる世のお母さんの多くは魔法使いです。

 そして、料理をお客様に出して喜んでもらう料理人のみなさんはいうまでもなく。

 ほんとだぜ。  

ハリーポッターのテーマソングにのせて手際よく料理を出して、人もてなしてみたい今日このごろだ。

投稿者 yoshimoto : 02:59 | コメント (0)

ので

おいしい料理を作って楽しく食べてもらおうとする人をよい魔法使いと定義することにします。

---カタヌケタ国事典第六章の三より抜粋。

カタヌケタ国についてはおいおい書いていきます。

投稿者 yoshimoto : 01:02 | コメント (0)

2006年06月15日

ご連絡

 これ、読んではるのかなあ、読んでねえだろうなあ。

 

 今週末(明日からですね)、京都の下鴨というところで小さなもうひとつの場所という方々のお芝居があります。 お時間のある方は行って見てご覧になってみてもいいんじゃないかと。 ご案内、詳しい情報はこちら

 美術館とかに個展を見に行くのがお好きな方は一度行ってみてもいいんじゃないかと。 それ以外の方も一生に一度くらい、そういう体験をしてみるのも悪くはないんじゃないかとは当方思ったりします。
 ただ、お芝居とかを見に行ったりするの初めての方は、じゃっかん注文の多い料理店ではありますので、ご注意を。
 これもまた出会いですわ。 それが良き出会いになればこれ幸いでござりまするよ。 以上でございます。


 

投稿者 yoshimoto : 21:30 | コメント (0)

2006年05月08日

かけ声フォーエバー

 勢いに乗せて、一言だけ。

 スポーツとかで(主に球技ですね)選手がプレーの最中にもれたり発したりする

 気合の声、あれ全部競技名で統一してみたらどうだろか。

 テニスだったら「テニス!」バトミントンだったら「バト・ミントン!」とかショットの際に

漏れる声、それで統一してしまうの。 

ラグビーだったらスクラムの際のかけ声が「ラグビィー!」になるわけです。

ちょっと微笑ましい感じがして許せる気がすんのは私だけ?

モニカセレシュやマリアシャラポアが発するテニス、相手選手への威圧というより

その競技を愛してることを行動で示しとるように見える気がするけれども。

  ・・駄目?     だね。

投稿者 yoshimoto : 00:00 | コメント (0)